2016年10月
この秋、あい・ぽーとは13回目の誕生日を迎えます。親も子も笑顔が輝くために、地域のみんなで子育てを応援しようという基本理念のもと、私たちに何ができるのか、試行錯誤の日々でもありました。迷いもたくさんありました。でも、その道のりがとても大切だったと今、改めて思います。先日、面白い本に出会いました。天才棋士の羽生義治氏と脳科学者茂木健一郎氏の対談ですが、コンピューターに将棋を指させる時には、あらゆる手を検索して常に勝つことを考えるプログラムを作るのだそうです。でも名棋士たちは必ずしも勝つことだけを目指して指しているわけではない。むしろ、いかにして前例とは異なる形にしようかということを考えているとのことです。時には失敗も寄り道もあることでしょう。でも、そこから新しい何かが生み出されるということです。あい・ぽーとのこれまでの道のりもそれに近いものがあったかもしれません。親子に本当に必要なものは何か、前例はないけれど、だからこそ新しい意味あるものを創りたいとスタッフが懸命に取り組んできた道のりでもありました。これからも試行錯誤を重ねるかと思いますが、親子の皆さんに喜んで頂ける何かを常に探し続けていきたいと、スタッフ一同、心新たにあい・ぽーとの誕生月を迎えております。
2016年9月
「ほめて育てる」と言いますが、これはなかなか難しことかもしれません。最近な子どもがちょっと何かする度にオーバーにほめる親御さんもいらっしゃいます。
子どものやる気をのばしたいという気持ちが裏にあるようですが、それはちょっと思いとどまって! なぜならそこには親の思い通りに動くことを期待する気持ちが働きかねないからです。そうした親の期待を敏感に察知するのも子どもです。ママやパパの期待に応えよう!応えなくてはならない!!と思いつ、期待に添えないと自分はダメな子、悪い子だと自信を失うこともあります。そうして親の引いたレールを素直に走ってしまった結果、自分の生き方を考え始める思春期に苦しむ子どもたちが最近増えていると聞きます。
それではどうしたら良いでしょうか?親は特別にほめる必要はありません。お子さんとの一日一日をじっくり楽しみましょう。もし、少しでも会話ができるようになったら、お子さんの言葉にじっくり耳を傾けてあげて下さい。大好きなママやパパに自分の話を楽しそうに聴いてもらえたという経験は、人とコミュニケーションをする喜びと共に自分は受け入れてもらえたという自己肯定感へとつながっていきます。自己肯定感がしっかり育まれた子は、やがて成長と共に行動範囲を自分で拡げて豊かな人間関係を築いていけることでしょう。子育ては長い道のり。何気ないことを大切に紡いでいくことが大切です。
2016年8月
夏真っ盛り。子どもたちが大好きな季節ですね。海に山に、あるいはふるさとのご両親(お子さんにとってはおじい様やおばあ様)のもとを訪れるなど、ご家族でお出かけする機会も多いことでしょう。楽しい思い出がたくさんできることを願っていますが、小さいお子さんを連れた旅行は荷物が多くなったり、子どもがぐずったりで、何かと大変だというお悩みの声もよく聞きます。
遠出をしないでも夏を楽しむ方法はたくさんあることでしょう。私事で恐縮ですが、幼い頃の夏の思い出はきまって入道雲が登場します。抜けるように真っ青な空にむくむくと湧き上がっている真っ白な雲を縁側に腰掛けてぼんやり見るのが大好きでした。もっとも、当時は雲だと思って見ていたのではありません。遠い遠い「雪国」がお空に浮かんでいると信じていたのです。その日によって微妙に形が変わる「雪国」の中に「お城」もしっかり見えていました。どんなお姫様が住んでいるのかしらと想像にふけっている時間がとても楽しかったことを憶えています。「あれは積乱雲なのよ」などと説明をする大人がいなかったことも幸いだったのかも知れません。子どもの頃の思い出は親に与えてもらうだけでなく、そっと見守ってもらうことでも豊かなものとなることを思います。
2016年7月
今月の初め、小学2年生の男の子が北海道の山中で置き去りにされた事件が大きな話題となりました。6日ぶりに無事保護されたというニュースに日本中の人がほっと胸をなでおろしたことでしょう。ことの発端は言うことをきかなかったので、父親がしつけのつもりで車から降ろしたとのことです。暗い山中に一人で置いていかれたこの子の胸中を思うと、いたたまれない思いです。
今回、この親がとった行動は一歩間違えば命に関わる事態にもなりかねません。明らかに「しつけ」の域を脱しています。ただ、ここまでではなくとも、聞き分けのないわが子についカーッとなって、子どもに厳しい叱責をしてしまうことは、だれにもあるのではないでしょうか。大切なことは、それを「しつけだった」と正当化しないことです。親も完璧ではありえません。間違った対応もすることでしょう。「しつけだった」と言い訳をすると、自分の言動を率直に反省する機会を失いかねません。もう一つ、しつけは親だけでできるものではありません。昔は、たとえば親に叱られて家を出された子をお隣の人がかくまってくれる、などというネットワークもありました。
今回の事件は、親も地域の私たちも省みるべき教訓をたくさん与えられたことだったと思います。
2016年6月
熊本地震が発生して1カ月余り。無念の死を遂げられた方々に心からお悔やみを申し上げますと共に大切な人を失った方々のお悲しみを思うと言葉もありません。今なお余震が続いている上に雨の被害も追い打ちをかけています。避難所等で暮らす人々の不安・恐怖も限界に達していることでしょう。一日も早く元の平穏な暮らしが戻ることを祈っていますが、全国から支援の輪も広がっています。連休中は被災地に多くの人がボランティアに出かけました。熊本産の商品を購入したり、募金に応じたり、それぞれができる範囲で熊本の人々のことを心に憶えています。そうした中、私の心に残ったのは、ふるさと納税受付業務を被災地の役所に代わって他の自治体が代行する動きです。その先陣を切ったのが茨城の境町でした。昨年9月の関東・東北豪雨で被災した際に受けた緊急寄付が復旧に役立ったこと、しかし被災時は事務に手が回らなかったことも事実。その経験を活かし、恩返しのつもりで代行に踏み切ったとのことです。また東日本大震災の被災地、福島県南相馬市の高校生もみどりの日に渋谷の街頭で道行く人に花の苗を贈って募金活動をしていました。境町や南相馬の高校生の行動は「支え・支えられてお互い様」の気持ちです。不安なことの多い今の時代、「共苦」を分かちあう心を大切にしたいと思います。
2016年5月
今月は映画『ルーム』をご紹介します。男に拉致されて狭い納屋の「部屋」に閉じ込められて暮らす母(「ママ」)と5歳の息子の息もできないほどのサスペンフルな脱出劇ですが、私は映画紹介のパンフレット(ひろばに掲示してありますのでご覧下さい)に“決して事件ではない。母子が置かれた現実の厳しさと救いを的確に描いた作”と書きました。むしろ子育てに日々奮闘している母親の“日常の闇”を見る思いです。ただ、この映画の素晴らしさは闇を描くことで終わっていないことです。むしろ、「部屋」から脱出した後の母子をめぐる周囲の人々の善意と無意識の加害性、そこから立ち直っていく母子の強さが描かれているのです。「ママ」の本当に苦しみは「部屋」から脱出した後の周囲の人の「母とはかくあるべき」という固定観念。社会や周囲の人は母となった女性に対して、優しさを装いつつ冷酷な面も潜ませている。ただ、「ママ」の苦しみに真摯に寄り添う人々も登場します。その人々の支えを得て彼女が健気に立ち上っていく姿を見事に描いている点に、私は胸打たれました。子育てひろば「あい・ぽーと」の支援もかくありたい、と支援の意味を改めて考えさせられました。
2016年4月
「保育園落ちた。日本、死ね!」と書かれた匿名ブログが大きな話題となっています。このブログに共感した待機児童問題に悩む親たちの声が大きなうねりとなって、国会も対応に追われています。子育て世代の声が政府や社会を大きく揺さぶったことは画期的な現象です。今回のことが契機となって、若い世代が自分たちの思いを行政府に届けようとする機運が高まってほしいと思います。そのためには声の届け方にも今後は一定の配慮がほしいとも思います。今回は「死ね!」という過激な表現が社会を動かす一因となったことは言うまでもありません。ブログの全文も読んでみましたが、かなり刺激的な口調です。張り裂けんばかりの胸の内が伝わってきます。仮に通常の表現ではここまでの動きは起こらないというのも、残念ながら現実かもしれません。こうした事情は十分に理解しつつ、それでもあえて言えば「死ね!」という言葉は今回限りにしてほしい。子どもの命が大切に育まれることを願って子育て支援に携わっている者の切なる願いです。折しも「3.11」で亡くなったあまたの人々の無念さと大切な人を失った方々の苦悩が今なお生々しいこの2月・3月に、他方で国会を揺さぶり社会を動かしたのが、この言葉であったことにやりきれない思いでいることも正直な気持ちです。子ども・子育て支援新制度が発足して一年になります。待機児童問題をはじめとして課題は山積しています。だからこそ社会の皆で智恵を集め、心を一つにして取り組める言葉が欲しいと願っています。
2016年3月
今、巷では猫ブームが沸き起こっています。本屋では猫の写真集が飛ぶように売れ、猫ショップも大盛況。もっとも、犬に比べて猫は人によって好き嫌いの差が大きい動物です。私もかつては猫が苦手でしたが、娘や夫に懇願されて猫を飼ってから、大の猫派に変身。道端で猫に出会うと、ついかまってしまって、何度も用事に遅れそうになったり・・・。猫は犬のように愛くるしさがないと言う人がいます。確かに、千切れんばかりに尻尾を振って迫ってくる犬に比べると、呼んでもしらっとしていることの多い猫。傍に来たかと思うと邪魔ばかり。本を読みふけっていると、尻尾をぬーっと出して、肝心な個所を隠してくれたり。でも、寂しい時に絶妙なタイミングで足元にうずくまってくれるのも猫。
何といっても、猫の魅力はいつまでも“猫可愛がり”が許されるということです。自立させるために子離れしなくては・・なんて心配なしに、抱きしめたい時にあの柔らかさを楽しんでいい有り難さ!そう、私が猫派になったのは、娘たちが思春期になった時でした。娘たちが私の元を離れつつある寂しさに心震えていた時でした。今、あい・ぽーとで遊んでいる子どもたちを見つめるとき、猫を見るような眼差しになっている自分に気づくことがあります。幼き人から贈られる幸せな時間があい・ぽーとに充ちていることに、感謝の思いです。
2016年2月
暖冬と言われていたこの冬ですが、1月に入ってさすがに厳しい寒さの日が多くなってきました。そして、この原稿を書いている今朝は突然の大雪。都心ではあちこちで交通機関もマヒして大変でした。私もあい・ぽーとに辿り着くまでの道のりがいつもの何倍にも遠く感じられましたが、途中で出会った子どもたちの瞳の何と輝いていたことでしょう。おそらく生まれて初めて雪を見た子もいるのかも知れません。あい・ぽーとの周辺でも、足元を気遣うママやパパの心配の声も聞こえないかのように、雪でぬかるんだ道を長靴で楽しげにジャンプしている子もいました。
そういえば、私も子どもの頃の雪の日の朝の光景は忘れがたい思い出です。朝起きて一面の銀世界。いつもの庭が見たこともないような別世界に変身して、まるでおとぎの雪の国の住人になれたような幸福感に包まれたものでした。
子どもの心に寄り添える大人になる条件の一つは、子ども時代をどれほど思い出せるかにあるという言葉を思い出した今朝のひと時でした。 さて、今年のスタッフのつれづれ日記のテーマは「子どもの頃の思い出」です。どうぞお楽しみください。
2016年1月
アジア・太平洋地域で、開発支援・教育支援・保健衛生の向上のために活動している国際協力団体(アニーファンド)があります。先日、団体の中心的な役割を担っておられる山口道孝神父様とお話をする機会がありました。すべての人が希望をもって笑顔になれる支援をめざす中で、とりわけ子どもたちの教育支援に注力されています。子どもたちが基本的な人権を尊重され、貧しくとも誇りをもって生きていけることが、平和につながる確かな道との信念に基づいて、一年のうちの多くの時間をアジアの子どもたちのために使う生活を長年続けておられる神父様ですが、とりわけ女の子の教育が大切だと語られたことが心に残りました。教育を受けた女の子は、仮に自分の代では受けた教育を開花する機会に恵まれなくとも、自身が母となったとき、教育の大切さを必ず子どもたちに伝える努力を惜しまないからだということです。「伝えること」「伝え続ける」大切さを考えさせられることでした。発展途上の国と違って、さまざまなものに恵まれた今の日本社会に生きている私たちですが、そうであればこそ、伝えたい大切なものを見失うことのないよう、新年に向けて心を新たにしたいと思います。
2015年12月
もしも、自分の命が残り少ないと知ったら、あなたは子どもに何を残せますか? こんな質問をすること自体ためらわれますが、実際、そういう事態に立ち至った一人の母親がいました。乳がんを宣告された時、最愛の一人娘はまだ5歳。どんなに切なかったことかと思いますが、彼女は現実に懸命に立ち向かいました。闘病の日々の中で、鰹節を削るところから、本格的なお味噌汁の作り方を教えたのです。「ちゃんと作る・ちゃんと食べる」ことを伝えたい。自分がいなくなっても娘が健やかに暮らしていけるようと、祈りを込めた贈り物だったのです。このエピソードは「はなちゃんのみそ汁」として小学校の教科書やテレビドラマに。そして、いよいよ来春、映画化(住友生命の特別協賛)されます。同社の社員で、同じ年頃の娘を持つ女性の働きかけが実っての映画化で、広末涼子さんが母親役を演じています。はなちゃんは今、12歳。おみそ汁を作っている時はママがそばにいてくれるみたいと語りながら、毎朝、おいしいお味噌汁を作ってお父様と一緒に朝の食卓についています。お母様の祈りは、はなちゃんの中で確かに生き続けているのです。与えられた命の長さは人によって異なりますし、私たちはその限りをなかなか知ることはできません。だからこそ、一日一日を丁寧に振り返りつつ過ごしたいと思います。大切な人を心から愛するために。
2015年11月
秋たけなわとなりました。さわやかに晴れたある休みの一日、衣替えをしてみました。夏物と冬物との選手交代です。夏物を畳みつつ、冬物のしわを伸ばしたりして、久しぶりにのどかな時間を過ごしました。そんな折も折、畳む手間を省くことを、ある家電メーカーが検討していることがテレビのニュースで放映されていました。洗濯機が衣類を洗ったり乾燥したりするだけでなく、なんと畳むこともするようなるのだそうです! 現段階ではTシャツ1枚畳むのに15分前後かかるそうですが、もっと短時間で仕上がるように2,3年先の実用化が目指されているとか。忙しい現代人にとって、畳むという作業は確かにしんどいものです。でも衣類を丁寧に畳む作業の良さも捨てがたいものがあるのではないでしょうか。子育ての頃には、娘たちがベッドに入った後、着ていた洋服を畳みながら、その小ささに思わず愛おしさを増したことも良い思い出です。便利さを追求するだけでなく、時にはひと手間かけることも日々の暮らしを豊かにすることもあるかも知れないのに・・・・と、秋の夜長にそんなことをふと考えたりしています。
2015年10月
あれほどの猛暑が嘘のように、ここ数日、朝夕は肌寒さを覚える日もあります。お天気の日はまさにさわやかな秋の気配に包まれて、季節の移り変わりの早さを感慨深く思っていたら、この「ひだまり通信」にクリスマスのフラワーアレンジメントのお知らせが掲載されています。「今年もあとわずかですね…」と言った会話が交わされる日も、そう遠くないことでしょう。
光陰矢のごとしですが、日々、子育てに追われていると、つい時間の経つのが遅く感じられることもあるかも知れません。「朝から晩まで子どもの世話に追われて、自分の時間もまったく持てない。いつになったらこんな生活から解放されるのでしょう!」とため息交じりに嘆くママたちの声によく接します。「本当に大変ですね。でも過ぎてみると、一瞬に思えるのですが…」とお応えしています。こんなお返事ではけっして救いにならないことを承知しつつ、でも子育ての時が過ぎてしまった私の正直な感想です。ただ、そう思えるのも自分の時間を持てるようになったからです。ですから育児真っ最中のママには、たとえいっときでもご自分の時間を大切にしていただけたらと思います。そのためにあい・ぽーとがお役に立てれば、とても嬉しく思います。
2015年9月
今夏は殊のほかの猛暑でしたが、ここ数日、心なしか日差しが和らいだように思われます。いかがお過ごしでいらっしゃいますか?
先日テレビを見ていましたら、お盆で故郷から帰ってきた人たちの声が流れていました。お盆恒例のニュース番組ですが、マイクを向けられた一人の女の子が「スイカがとてもおいしくて、うれしかった」と答えていたのが印象的でした。スイカは東京でも食べられます。スーパーに行けば、食べやすいように半分または4分の一くらいにカットしたスイカがたくさん並んでいます。それなのに、なぜその女の子にとって、スイカが夏の帰省の楽しい思い出となったのかしら?と、初めはちょっと不思議な気持ちがしました。おそらくパパやママの故郷ではおじいちゃまやおばあちゃま、いとこたち、皆が集まってにぎやかに味わったことでしょう。子どもどうしで種の飛ばしっこをしたかも知れません。
子どもは食べることが好き。でもただ食べ物が好きなのではなく、楽しく食べることが好きなのです。間もなく夏も終わり、食欲の秋が訪れます。それぞれのご家庭でのお子さんたちの食卓が楽しいものとなりますように!!
2015年8月
この5月にフィンランドの子育て支援を視察していらした浦安の松崎市長のお話を先日、伺う機会がありました。フィンランドといえば、妊娠中から担当保健師らが寄り添って、出産・子育てまで切れ目なく支援する「ネウボラ」が注目されています。しかし、市長のお話で興味深かったのはフィンランドの教育システムでした。就学前から小学校・中学・高校・大学へと進学する道筋は日本と類似しているのですが、どの段階でも「留年」が公然と認められ、当然視されているとのことです。よく理解できない科目等があったら、進級しないで元の級に戻って、納得するまで学ぶとか。日本は「留年」は進級できないという負のイメージが付随していますから、仮に教科がわからなくても進級だけさせるという事例も少なくありません。義務教育で当然身につけておくべき学力がない学生も増えていて、「リメディアル教育」(補修教育)の実施を検討する大学も少なくないのが現状です。一方、フィンランドでは大学生は30歳までが当たり前。社会人として就職してから大学に入学するなど、生涯を通してゆっくり学ぶ仕組みが整備されているからです。私たちは「その子らしく、ゆっくり育つことが大切」と言葉では言いますが、それをシステムとして具体化する必要性を、市長のお話から考えさせられたことでした。
2015年7月
色とりどりの短冊が笹の葉になびく光景が街のあちこちに見られるようになりました。
七夕の季節を迎える度に、私は『ジョイ・ラック・クラブ』という古い映画を思い出します。20世紀初めのサンフランシスコを舞台に、さまざまな苦難を背負って中国から移住してきた4人の母親とその娘たちとの葛藤と心の絆を描いた作品です。それぞれに人生模様は異なりますが、共通しているのは娘に寄せる母の期待の大きさです。母の期待に必死に応えようとしつつも応えきれない娘たちの苦しみ、それゆえに母に抱かざるを得ない複雑な感情に揺れる娘たちの姿は、何度みても胸が痛くなります。しかし、ラストシーンで一人の母親が娘にこう言います。「私はお前に期待をしたのではない。お前の幸せを願ったのだ」と。母親はこの言葉を残して、程なくこの世を去りますが、母はけっして娘を思い通りに操ろうとしたのではなかった。子どもの長所も短所も見極めて、その幸せを願ってくれていたのだと気づいた娘が、新たな人生に向けて旅立つシーンが印象的です。わが子に寄せる親の「期待」と「願い」の違い。私自身、二人の娘の母として、自戒を込めて思い出すシーンです。
さて、皆さんはどのような願いを短冊にお書きになりますか。
2015年6月
皆さんはWeb上の「TED」をご存じですか?世界中の叡智が講演を行う極上のカンファレンスとして人気を博しています。3分という短い時間ですが、毎回、各界の優れたプレゼンターの発想が魅力的です。先日、おもちゃの開発をしている一人の若者のプレゼンを聴きました。彼はおもちゃを開発するのが大好き。次から次へとアイディアが溢れて止まらない彼ですが、就職先の上司から、そのおもちゃが売れるかどうか、市場調査をしてデータを出せと要求された途端、アイディアの泉が枯れてしまうのです。データを前に何も浮かばなくなった彼は、結局、データを無視して、子どものしりとり遊びを始めてよみがえったということです。その詳細は省くとしましょう。商品開発に市場調査とデータは不可欠です。でも、その常識のタガをはめられた途端、彼の独創性は枯渇する危機に瀕したのです。彼の話を聞きながら、遊び戯れる子どもの姿が思い出されました。大人からみると、何の脈絡もなく、ときにはめちゃくちゃで、無駄なことをしているとしか思えない子どもたちの遊び。でもその中で、子どもたちはのびやかな発想を育んでいることでしょう。大人の理屈や常識で子どもの世界をつまらないものにしてはいないか、と反省させられた3分間でした。
2015年5月
館内にチラシを掲示してありますのでお気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、この4月から港区と協働で「子育てコーディネータ事業」をスタートいたしました。子育てには悩みがつきものですね。ときには何に悩んでいるかわからず、ただもやもやせざるを得ないということも少なくないことでしょう。そうした皆さんのご相談やお悩みにワンストップ(あちこち訪ね歩くことなく、できうる限り一か所で対応すること)でお応えすることをめざした事業です。場所は港区の子ども・家庭支援センターとあい・ぽーとの2階です。相談員には本法人の人材養成講座を受講され、地域の子育て家族支援者として、あるいはまちプロとして活動している方々に、さらに相談員となるべく専門教育を受けて認定をおとりいただきました。私も相談員の一人として受講しましたが、感慨深かったのは港区の各部署の担当者の方々が、それこそ全員一致団結して区の施策と施設の説明にあたって下さったことです。長年、区民として暮らしていますが、かほどに子育て・家族支援に注力していただいていることを改めて知って感銘を覚えると共に、それをいかに子育て家庭の皆様にきめ細やかにお伝えすべきか、本事業の意義を再認識したところです。
皆様もどうぞお気軽にいらしてください。あい・ぽーとの2階はリフォームして木の香りのするお部屋になっています。
2015年4月
ようやく春めいてきました。桜の便りが聞かれるのも間もないことでしょう。春先はうきうきして、何か新しいことを始めたくなりますね。お子さんに何か習い事を始めさせたいといったご相談が増えるのもこの季節です。先日も1歳児をお持の数名のお母様方から、将来、人間関係がスムーズに運べるようにコミュニケーション能力を身につけさせたいので、そういうレッスンの場がありますかと聞かれました。これからはグローバルな国際社会を生きていく必要性が高まると考えて、皆さん、真剣に考えていらっしゃいました。子どもの将来を思う親心ゆえの熱心さですね。
確かにコミュニケーションは大切です。でも、それはどこかの塾に行って習うものではないように思います。むしろ親や身近な人が互いに心地良い関係を築いている姿を間近に見ることが、何よりも大切です。家族が互いに気持ちよく挨拶を交わしていますか?時にはゆっくりお茶を楽しみながら、たわいのない会話を交わしあう楽しい時間を持っていますか? 寒さで縮こまっていた身体をほぐすように、身近な大切な人々へも柔らかな心で接してみましょう。きっとリビングに差し込む春の日差しがいっそう和らぐことでしょう。
2015年3月
ここ数日、母親がわが子を殺害するという痛ましい事件が続いています。全幅の信頼を寄せている母親の手によって命を奪われる幼い子どもたちの無念さと絶望感を思うと、言葉がありません。一方、どのような判決が下されるかは分かりませんが、重い罪を背負って生きる母親たちのこの先の人生を想像するのも、また辛い気持です。「育児に疲れた」…加害者となってしまった母親たちに共通の言葉だと報道されています。
夫が仕事等に出かけて不在中に起きた犯行に、密室の母子カプセルの中での“孤育て”(孤独な子育て)の闇の深さが思われてなりません。
さらに、このニュースを聞いて、ひとごとには思えない、と心を震わせている母親も少なくないことを思います。
母親が一人で子育てに専念するようになったのは、歴史的にも新しい現象です。育児に悩んだり不安を持つのは当たり前。昔のように地域の皆で子育てを支えるために、この「あい・ぽーと」があります。そして、この4月からは、子育ての悩みや不安に、今まで以上に寄り添い、あなたの子育てライフのプランニングのお手伝いをする新しい事業が、港区と「あい・ぽーと」の協働でスタートします。
どうかひとりで育児を抱え込まないで!皆さんのすぐそばに「あい・ぽーと」があることを思い出して下さい。
2015年2月
赤ちゃんや小さい子どもと接していると、時々不思議な感覚を覚えることがあります。同じ場所にいるのに、見えているものが違っているような、何か私たち大人とは違った世界に生きているのではないかと・・・。もっとも発達心理学的には知覚や認知の能力は未発達です。また乳幼児は自己中心性と言って、他の人の立場や感情を理解できない発達段階にいるとも言われています。でも、本当にそうでしょうか。むしろ、はるかに鋭い感性で何かを、私たちには見えないもの、見えにくくなってしまっているものをキャッチしているように思えることがあります。
たとえば「愛」「やさしさ」「思いやり」「信頼」です。大人はこれすらも形にしようとします。手紙を書いたり、時には贈り物であらわしたり。そうした表現ももちろん大切かと思いますが、形に慣れ過ぎて、いつしか形にしないと伝わらなくなっていることも少なくありません。
でも幼い子どもたちは違います。たとえ言葉にすることがなくても、心の中で静かに大切に思う温かさに、目を輝かせ、慕い寄ってくれます。
見えないもの、見えにくくなっているものに今一度思いをはせることができれば・・・、今年はそんな一年にしたいと願っております。
2015年1月
今年も残り少なくなりました。この1年、皆様にとってはどのような年だったでしょうか?
私の子育て期を思い出すと、年末年始の今の季節は心うきうきしながらも、ちょっとつらい時期でもありました。1年を振り返ってあれもしていない、これもできなかった等々、後悔と焦りに胸がいっぱいになることが少なくなかったからです。ちょうど研究者としても最も厳しい時期だったように思います。でも、ふと傍らにいる娘たちを見ると、なんと確かな足取りで育ってくれていたことでしょう。ハイハイができたかと思うといつの間にかあんよをしていたり、話し始めたと喜んでいたら、程なくお友達の名前を口にしたり…。
育児真っ最中は自分の時間が十分に取れなかったり睡眠不足に悩まされたりと、親にとって不自由を余儀なくされることも少なくありません。その代わりに与えられる恵みも実に大きなものがあります。奪われたり失うものを嘆き悲しむ心も大切にしつつ、それ以上に与えられたものに感謝したい…二人の娘たちと共にある暮らしの中で親として学んだことでした。どうぞ良いお年をお迎えください。
2014年12月
先日、子育て支援に関するシンポジウムに参加した時のことです。シンポジストのお一人がNPO活動をしている女性でした。ご自身の初めての育児の時に、夜泣きに右往左往したり、赤ちゃんと二人だけで家の中に閉じこもったりせざるを得なかった日々のつらさを経験し、それが母親たちに居場所を提供する今の活動につながったことを語って下さいました。その後に登壇した男性は全国的に注目されているユニークな幼児園を運営している方でした。「僕は子どもが面白くてたまらないんです。子どもの育つ力のすごさに日々感動し、そのすばらしさをもっと発揮させたいと願って、今の活動をしています」と語られました。対照的なお二人の言葉ですが、どちらも子育ての真実だと思いながら、拝聴しました。
苦しいことも楽しいことも両方あっての子育てです。「子育ては楽苦しいもの」を持論としていた私に、元ラグビー日本代表選手の大八木淳史さんが「最後に“美”をつけて、全部音読みにしてみて」と言われました。そうです!「子育ては楽苦美(ラクビ―)」でした。一つのボールを追いかけ守る競技の心は、子育てと同じ。皆で心を一つにして子どもを見守り育む日々はやがて美しい思い出となることを、二人の娘が巣立った今、実感しています。これからもあい・ぽーとが皆様のラクビ―のフィールドになれることを、スタッフと共に願っております。
2014年11月
ある一人の日本人の若者が書いた本が世界20カ国以上で翻訳され、ベストセラーになっていることをご存知でしょうか?彼の名は東田直樹さん。海外では村上春樹か東田直樹かとまで言われているとか。本のタイトルは、The Reason I Jump(『自閉症の僕が飛び跳ねる理由』)。直樹さんは自閉症です。その彼が13歳の時に自身の胸の内を綴った本ですが、7年を経て、自閉症の息子を持つアイルランドの作家ミッチェルさんの目にとまり翻訳されました。息子とコミュニケーションがとれずに苦慮していたミッチェルさんですが、本書に出会って希望の灯を見出していきます。二人の交流を追ったNHKのドキュメンタリー番組「君が僕の息子について教えてくれたこと」の中で、ミッチェルさんが「私は父親として息子に何をしてやったらいいか」と尋ねるシーンがあります。直樹さんの答えは「今のあなたのままでいい。いつも笑顔でいて欲しい」。自閉症の自分がいることで、親や家族がつらく暗い気持ちでいることほど切ないことはないからと。親はいつも笑顔でいて欲しい。自分の存在をあるがままに受け入れて欲しいという直樹さんの言葉は、障がいの有無を超えてすべての子どもの願いでもあることを考えさせられます。
2014年10月
先日、飛騨高山の「わらべうたの会」(よみうり子育て応援団奨励賞受賞団体)をお訪ねしてきました。高山はすっかり初秋の趣きで、会場となった“飛騨の里”は心がほっこりと癒されるような風情に包まれていました。その中の古民家に甚平姿の乳幼児とその親たちが集って、飛騨地方のわらべ歌を楽しむひと時は、昔懐かしい日本の秋の絵そのもの。都心から訪れた私には別天地のようなのどかな里でしたが、子育て真っ最中の母親たちからは、聞き分けのない子にきつく叱りすぎてしまったり、赤ちゃんがえりをしたお兄ちゃんの扱いに頭を悩ませたりしている声が聞かれて、親の悩みはいずこも同じでした。
ただちょっと驚いたのは、参加者としてわらべ歌を楽しむ人は勿論ですが、主催者側もそのほとんどが子連れだったことです。わが子をおんぶしたり、互いに見守りながら、受付や進行、会場設営などをテキパキとこなしていました。代表の岩塚久案子さんも、かつて大きなお腹で、わらべうたの会をスタートさせたそうです。今、10歳に成長したお子さんが「わらべうたの会」の有力な助っ人になっているというほほえましい話も伺えました。
子どもが小さくても、できることをしていくという女性たちのパワーに、飛騨の里の秋の彩りをいっそう深く感じた一日でした。
2014年9月
残暑厳しい毎日ですが、いかがお過ごしでいらっしゃいますか?
あい・ぽーとは前号でもご紹介いたしましたが、8月12日に東京国際フォーラムで開催されたキッズジャンボリー(住友生命保険助成事業)に参加いたしました。今年も800名近い方々が来場され、あい・ぽーと恒例の音楽絵本やまちプロさんのラフターヨガ等を楽しんでいただきました。子育てトークでは、NHKの“英語で遊ぼう”でおなじみのエリックさん、本法人理事の汐見稔幸先生を交えて、くわたばりえさんの軽妙な司会で話が盛り上がりました。子育てに正解はないという汐見先生のメッセージに会場の皆さんが大きく肯いておられました。
また国際結婚のエリックさんは、しつけや子育ての方法をめぐって日本人の奥様と衝突したエピソードをユーモラスに語って下さいました。
お二人は率直にぶつかり合いながらも、最後は必ず“I love you !”を忘れないとか。子育てに正解がないからこそ、自分の意見を言い、相手の声にもよく耳を傾ける・・・。それがうまく運ぶためにも、意見を異にする相手への愛が欠かせないことを考えさせられた一日でした。
2014年8月
残暑厳しい毎日ですが、いかがお過ごしでいらっしゃいますか?
いよいよ盛夏到来です! 海に山に、あるいは故郷へと、ご家族揃っての外出の機会も増えることでしょう。赤ちゃんや小さいお子さんを連れての移動は、
なかなか大変かと思います。言うまでのないことですが、荷物はできるだけコンパクトにしたいものですね。最近は便利な育児用品がたくさんありますが、
あまりにも使途が細分化されすぎていて、それらを全部持って行こうとすると大荷物になってしまいかねません。夏の旅行を機に身の回りの品々の「断捨離」を心掛けてみるのも、良いかもしれません。
荷物を軽くすると、不思議と周囲が見えるなど、心にも余裕が生まれます。新幹線や飛行機に乗るときには、周囲の方々への気遣いも忘れずに。ある母親は、「小さい子連れですので、お騒わせするかもしれません。よろしくお願いいたします」と、乗った時に、すぐ周囲の方々に挨拶することを心掛けているそうです。確かに、そうしたお声掛けをいただくと周囲も赤ちゃんや小さい子の泣き声は不思議と苦にならなくて、あやしてあげたくなるものです。小さな心遣いが周囲の人との潤滑油になって、和やかな空気が生まれます。今年も猛暑のようですが、さわやかで楽しい思い出がたくさんできますように!!
2014年7月
街で赤ちゃん連れのカップルをよく見かけますが、かつてと大きく異なるのが、父親が赤ちゃんを抱いたり、こまめに世話を焼いたりしていることです。先日も、幅広い胸の中でぐっすり眠っているわが子をいとおしそうに抱きしめている父親の姿が、印象的でした。まさにイクメン現象が浸透してきているといえる昨今ですが、喜んでばかりはいられないデータが発表されました。
ある大都市の統計ですが、児童虐待の加害者の内、実父が占める割合が初めて実母を上回ったということです。これまで実母が虐待加害者の大半を占めていた背景には、母親一人に育児の責務が担わされていたことが指摘されてきました。しかし、最近は父親の育児不安や育児ストレスも注目され始めていて、それだけ父親が育児にかかわるようになった結果とも考えられます。育児の責務を一身に、そしてあまりにも生真面目に背負うことは、父親・母親の違いを超えて、困難で、不自然なことなのだと思います。イクメンタレントとしても有名なつるの剛士さんは、「育児にだけ一所懸命になることがイクメンではない。仕事に打ち込む姿も子どもに見せたい」と新聞のインタビューに答えていました。親であると同時に社会人として、また男性・女性としての多様な時間をもつゆとりが、子どもとの時間を楽しめる心のゆとりとなることを改めて考えてみたいと思います。
2014年6月
最近は本も新聞も読まない人が増えていると言われています。若い人たちには様々な世界に関心を拡げて欲しいと願って、大学のゼミで新しい試みをしました。図書館を自由に散策して、読んでみたいと思う本を手にしてもらいます。ジャンルは問いません。そして、選んだ本に関連した記事を新聞各紙から探して発表し、互いにコメントしあうという企画です。
当初は戸惑いがちだった学生たちも、それぞれに思い思いの本を手にしてきました。読後の新聞記事検索も図書館の記事検索サイトを駆使して、見事な発表を展開してくれました。一人の学生が選んだ本は不登校に関連したもの。自身が中学時代に不登校を経験したことが選書の動機で、学びの場はいかにあるべきかを考えさせる記事を収集。自身の通信制高校での経験も交えて、“学びの場は一つではない”と熱く語るプレゼンでした。他の学生からも実に個性的な発表が続き、時間終了のチャイムが鳴った時には「え、もう終わり?もっとこのゼミ、続けたい!」という信じ難い(?)言葉が発せられました。興味あることを探し、深堀した時に、人は大きな力を発揮することを学生から学んだひと時でした。子どもたちにも、是非こうした喜びを経験してもらいたいですね。
2014年5月
先月、男性ベビーシッターに預けられた2歳の男の子が死体で発見されるという事件が発生しました。インターネットのベビーシッター紹介サイトを利用した母親に対して、事前にまったく面識もない人にわが子を二日間預けたことを批判する声も少なくありませんでした。
しかし、そこまでせざるを得ないほど子育てに追い詰められる事情があったのではないでしょうか。身近に手助けをしてくれる人もなく、子育てに孤軍奮闘している母親は、この事件の母親だけではありません。もっと地域をあげて子育て支援を充実させなくてはいけないと改めて思わされた事件でした。あい・ぽーとでは、「子育て家族支援者」の方々が、ひろばコンシェルジュとして、また理由を問わずお預かりする館内の一時保育(あおば)やご家庭等に出向いての保育に、大活躍して下さっています。この取組は港区とあい・ぽーとの緊密な連携のもとに進めています。親と地域の人、そして行政が一体となって、子どもの健やかな成長を見守り楽しめるために、地域に新たな相互扶助の仕組みを創ろうしているあい・ぽーとです。不十分な点も、まだ多々あるかと思いますが、こうした取り組みに希望をもって、子育てに励んでいただきたいと願っています。